新卒でT芝系の大工場で働き出して1年が過ぎた頃 同期のMが俺に声をかけてきた。
「ネコタ、今日時間ある?仕事終わったら10分だけ話聞いてよ。」
Mは背が高くハンサムな顔立ちだが正直それほど仲が良いわけじゃなかった。
俺に聞いてほしい話があるとは思えなかったが好奇心で了解した。
工場の駐車場で合流すると同期のOとWもいる。
Mの車に全員が乗るとMは「アムウ××って知ってるかな?」と話を切り出した。
昔の話(90年代後半)なのでネットも普及しておらず、M以外の我々3人は等しく情弱だった。
Mが「面白いから一度ミーティングに参加してほしい」と言うので後日・社会勉強で見学してみることにした。
指定された日時に4人相乗りでS市W区Y町にある店(確か美容院だった気がする)に行くと15人程の若者たちが集まっていた。若者達の他に3,4人中年の男女もいた。
「どうぞ」笑顔の案内役も同世代の青年だったが随分大人に見えた。
時間になって司会の青年が「XXXェイ」の説明を始める。
アメリカで何とかさんと何とかさんが創業して・・・・
企業理念は「成功を・・・(忘れた)」で・・・
化粧品とか、家庭用品とか、サプリメントを販売していて・・・
とにかく素晴らしい商品で・・・
これらの商品を販売する人のことを「ディストリビューター」と言って・・・
売上によって「ダイヤモンド・ディストリビューター」
「エメラルド・ディストリビューター」などと呼ばれるようになると
売上の・・・が販売料として…とか。
芸能人の〇〇さんも「××ディストリビューター」で・・・。
皆さんとは私はご縁によって結ばれたので・・・・とステキな話三昧。
その後、
それではこの商品「▲▲▲シュドロ▲▲▲」のデモンストレーションを今から行います。
(イメージ写真)
「手に靴墨を塗って→このディッシュ▲▲▲を(原液)軽く塗って擦ると」
「ね!すごいでしょ」「この商品を広めたくないですか」
最後に、ディストリビューター達の成功談が始まって、
やれハワイに行った。だの やれ車をBMW(の3シリーズ)に買い換えただの自慢話が続いたが、ある青年の
「半年前までZに乗っていましたが頑張りが足りなくて今は中古の軽になっちゃいました。挽回できるように努力します。」と言う本音?がその時印象に残った。
1時間強のミーティングを聴き終わる頃には
俺たち4人は頑張って全員でワイハーに行くべ!・・。
と全員が洗脳状態になって興奮していた。
無知って恐ろしい。
その後ファミレスに移動してMが用意した書類に必要事項を記入し
「ディストリビューターキット」だか「スターターキット」なる物をもらった。
ワイハー・ワイハー。
その後どうなったか・・・。
当時、我々の勤務するT芝系の工場は年度ごとにQCサークル(小集団活動)の成果発表会に(ちょっと異常な程力)を入れていて、
ちょうど発表会のシーズンと重なった為
我々は各班ごとに連日会議をしたり、
資料集めと表(散布図、特性要因図とか)の作成、
(今はパワポだが当時はスライド(OHP)で作っていたので時間がかかった)
発表の練習でそれどころじゃなかった。
落ち着いたころ友達数人に例の話をしたところ
よその会社でも同じような事例があって「XXXXX」は禁止されている。
(社内の人間にモノの定期購入とミーティングに誘い(子)にする為)
最低●万円近く洗剤やらサプリを売らないと金が還元されない仕組み。
親・兄弟・知人友人・親戚に商品を売って回った挙句、結果ウザがられて人間関係が壊れた話をよく聞く。
ネコタ(俺)にカリスマ性があり、弁が立って、尚且つイケメンで社交性があるなら成功するだろうけど全部ないよねw。
工場勤めの人って工場以外の事に疎いから気をつけてなw。
・・・と言われて結果辞めた。(放置した)
その後何回かミーティングの誘いをMから受けたが多忙を理由に断った。
(元々そんなに仲良くなかったし)
一緒にキットを受け取った同期達も結局放置だった。
当時は3交代に残業を毎月40時間程して同世代に比べて手取りが良かったのでハングリー精神が足りなかったが、今思えば逆にそれが良かったと思う。
7年後俺は会社を辞めてその後Mと会っていないが
「宝石名・ディストリビューター」になってワイハーには行ったのだろうか・・・。
例の「XXXXX」だが街の中心部に素敵なビルが建ったので売上は好調なのだろう。
1Fのカフェ的スペースで宝石Dだろうか?若者達がノートPCでタブレットで意識高そうな作業をしているのが外から見える。