野良猫みたいに生きている(プロ

交通違反の罰金が払えず刑務所で労役90日→労役終了後3ヶ月間自立支援ホームで生活→その後色々の備忘録

男の職歴

なんて事ない自分の職歴・・・

 

 

●高校を卒業してT芝系の工場で7年勤務する。

3交代+残業で高給だった。

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夜勤がキツくなったのと上司との人間関係に悩み

このまま働いても将来が見えなかったので退職。

 

25歳から46歳まで 

●ムニャムニャ(仮称)商店で働き出す。

 

※税金もロクに払っていない初老の社長が経営する個人商店で働き出す。

高校生の時アルバイトした事のある所で当初はあくまで腰掛けのつもりだった。

(腰掛け=次の職が決まるまでの繋ぎ仕事)

 

キツい、汚い、危険、のいわゆる3K職場だったけど精神的には楽だった。

 4tトラック(MT車)の運転を覚える。

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移動式クレーン玉掛け、フォークリフト、大型建機、

仕事に必要な免許は皆無だったけど、

社長の「いいからヤレよ!」

「こーゆーのは働きながら覚えるんだよヨ!」

の指示で実戦にて操作を覚える。

 

※ムニャムニャ(仮称)は個人商店ながら優良な顧客に恵まれていた。

 

社長は過去 岩手で事業に失敗。

破産後、数年間、車検のないトラックを運転し廃品回収業で事業資金を貯めたらしい。

 

行動的、思い切りの良い人物、ハッタリを効かせるのが上手い。

反面、超ワンマン経営で他人の意見は一切聞かない人物だった。

 

70年代後半、駅前の某オフィスビルでテナント企業相手の「何でも御用聞き」

から再スタートしたらしい。

 

少額の作業だったが連日ガンガンこなした。

 

社長は稼いだ金を全て設備に投資していたので個人商店ながら作業の道具は充実していた。

しかし社屋は町はずれの掘っ建て小屋みたいなプレハブだった。

 

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(↑社屋はこんな感じの汚いプレハブ小屋だった)

 

恐ろしいことに会社にトイレが無かったので

(大)の時はその都度コンビニで用を足していた。

 

ベトナム人と一緒に働いた事もあった。

www.noranuko.tokyo

●ムニャムニャ商店→有限会社ムニャムニャ(仮称) 

 

●法人化のキッカケは顧客から

「このままでは1回3万円以上の発注が出来ないので法人化するように」

「法人化すれば末締めの翌月払いでまとめて振込できるから」

・・と指摘された為。

 

※ 法人化をキッカケにこれからの仕事に必要な行政の許認可を取得する。

 

※俺、(形式上)会社の役員になる。

 

日給月給、社保無し、失保無し、3Kのトンデモ会社だったけど

ありがたい事に人は集った。

薄給で人の出入りは激しかったが仕事は何とか回った。

 

※今は書けないけど会社は色々儲かった。

 

※どんなに儲かっても俺の月給は月15万の固定給だったが車関連、その他は経費で落とす事を許可された。

(車が10万キロオーバーのホンダから新車vwゴルフ→中古アウディA4

新車プリウスになった)  

 

※ある日、突然税務署の立ち入りがある。 

社長の「私.学が無いもんで…数字に弱くて…すみません」の芝居も税務署員に通じず追徴を喰らう。

(因みに社長は法政の経済学部卒だったので確信犯)

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●ほとぼりの冷めた頃に 有限会社ムニャムニャ→株式会社ムニャムニャに。

 

※社長が各金融機関から融資を受けまくる。

 (零細企業だったが2002年頃は銀行も融資に積極的だった)

 

※(有)でも十分だったが社長の謎野心で無理して資本金3千万の(株)にする。 

 

※ 掘っ建て小屋から敷地の広い物件に移動。

ちゃんとエアコンもトイレもある事務所で嬉しかった。

 

※ 社長、無計画にトラック増車や建機を積極導入する。

(結果、台数の割に設備の稼働率は低かった)

リーマンショックで受注が激減し会社が85度傾く 。

人と機械をリストラ。とにかく経費削減に努めた。

 

●社長の体調が急激に悪化。

病院に連れて行ったら そのまま入院。末期の肺癌だった。

3ヶ月後他界。享年69歳だった。

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●会社に残った3名で何とか事業の再起を図る。

●月65万→15万のコンパクトな物件に移転する。

●移転がようやく完了したのが2011年の2月15日。

●2011年3月11日 東日本大震災

現場に出ていたトラック1台を残して全て津波で流される。

 

●本来、このタイミングで廃業するべきだったが顧客からの要望で事業継続を決める。

(いろいろ端折るけど・・ )

 

●金融機関から復興予算の追加融資が出たので

俺がトラック1台.1人親方として 顧客を限定して再出発する。

 

●震災の影響で震災前に融資を受けた分の返済は半年間猶予されたもののその後 毎月返済に追われる。

 

●震災前にリスケしていたが、震災後もリスケ申請が通り何とか延命する。

 

www.google.com

●震災の復興需要は2013年で落ち着いてしまう。

●2013年後半から2015年秋までは超自転車操業

●会社の口座差し押さえも3回ほど経験する。

(社会保険、法人県民、法人市民税の滞納)

 

 

●生活費、運転資金の為

個人名義で借金をする。(もう思考がトチ狂っていた)

 

●2015年遂に手元資金がショート。 

●トラックの車検費用が無くなり廃業を決意。

一時的に作業のある時だけ仮ナンバーで繋ぐ…という発想が出来なかった。

 

●不思議な事に廃業を心に決めた途端 仕事が入りだす。

 

●「一稼ぎ」したら店仕舞いしようと無車検のままトラックで働く。

 

●2017年1月 細心の注意を払って無車検運転をしていたのに、

信号待ちの時 後ろからバンに追突されて 無車検が発覚 (幸い双方とも無傷)

 

●廃業する。

 

●このブログの最初に至る。

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www.noranuko.tokyo

 

大雑把だけどこんな感じで今に至ります。 

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