20年ほど前、当時の勤務先でベトナムの青年3人が働いていた。
いわゆる「研修生」ではなかったと思う。
高齢の社長は大らかな性格(適当)な人物だったので
ロクに就労ビザの確認もせず使っていたと思うが、
とにかく3人のベトナム青年が働いていた。
名前はそれぞれ「ホン」「マイン」「フン」と呼ぶよう
彼らの派遣元である在日中国系ベトナム人の貿易商(社長の知人)から教えられていた。
「ホン君」
はベトナムの「フエ市」の出身で
160センチ位の小柄、
角刈りで 利発そうな顔立ちの24歳、
アクセントはアレながら日本語は達者。
「マイン君」
はカンボジアとの国境沿いの町出身、
(聞いたけど町の名前は忘れた)
長身、痩身、天然パーマ。
日本語はカタコトで何とか伝わる程度、20歳
「フン君」は他の2人とは違い色白、
ペタッとした脂っぽい髪質で猫背、
鼻は上を向いていた。
陰気な感じで背は170前後、
日本語は単語をポツリポツリと発する程度。
出身地も言わなかった。
年齢は25歳。
俺+3人で現場に行く事が多かったが
4tユニック車(クレーン付きトラック)は定員3名乗車で1人は乗れない。
苦肉の策としてキャビン後部の「寝台」に1人乗せて現場間を移動していた。
(もちろん違法)
靴を脱いで寝台に膝を抱えて乗るのは主に「フン君」だった。
そんなベトナム3人組の中で
比較的日本語が達者なホン君の思い出が2つほどある。
●ある日、某メーカーの支店で搬出作業があり、7時半から開始した作業が11時前に終了したので
廊下に貼っていた養生を片付けている所に
「偉いさん」が重役出勤してきた。
我々に気づくと片手をあげて「はい ご苦労さん」と声をかけてくれた。
俺「おはようございます。お世話になっています!(大声)」
マイン「オハヨウゴザイマス(大声)」
フン「オハヨウゴザイマス(小声)」
ホン「オハヨウゴザイマス!(大声)・・
オジイサン!お元気ですか!(満面)」
俺(驚驚驚冷汗・・・)
偉いさんは一瞬あれ?っと困惑の表情を浮かべたものの
そこは天下り役員の余裕かどうかは分からないが
「はっはっは!元気元気!」と笑顔で言うと
振り返りもせずエレベーターに向かって行った。
ワキ汗ビッショリの俺は帰りの車内で
「ホン君ぅん!おはようございますだけで良いよ」と困り顔で指摘すると
彼は口を尖らせて
「ネコタさん。あのね ヴィエトナム、朝、オハヨウゴザイマス3つアルネ」
「朝、お父さん、お母さんにするオハヨウゴザイマス」
「朝、トモダチにするオハヨウゴザイマス」
「朝、お爺さん、お婆さんにするオハヨウゴザイマス」
「3つ全然チガウネ!」
「あの人(偉いさん)はお爺さんでしょ!」
「お爺さんにするオハヨウゴザイマス全然チガウネ!」
・・・と真顔で説明してきた。
まあ一番敬意を示して挨拶してくれたのは分かるんだけどさ・・・。
日本語を教えるって難しい・・・。
●ある日の午後、休憩時間
お茶を飲みながら詰所で休んでいると
ベトナム3人組がなにやら議論している。
不意にホン君がやって来て
「ネコタさん。日本語で、バカはバカの他にアイシテルと意味一緒でしょ」
と言ってきた。
「馬鹿=愛してる」?違うよ と言うと。
「でもでもオトコがオンナを抱きしめて
「バカだな」は「アイシテル」と意味一緒でしょ!」
と口を尖らせて言ってきた。
どうやら昨日見たドラマの中にそうゆうシーンがあったららしく
その事で 「馬鹿だな」=「愛してる」は同意語か否か
ホン×マイン+フンで議論していたらしい。
あー。場面によってはそう言う事もあるよね。と教えたけど
やっぱり日本語って難しい。
そんな彼らも1年弱で会社に来なくなった。
彼らの派遣元、ベトナム貿易商が拠点をS市から北海道に移すのに伴って
ホン君とマイン君も一緒に北海道について行ったのだ。
因みにフン君は横浜に(横浜在住のベトナム人の所)行ったらしい。
当時の勤務先もそれまでの日給月給の適当会社から
有限会社に登記して再出発する時だったので
身元がアレな彼等をいつまでも使うわけにはいかなかったので
丁度よかったのだが、
あれ以来彼らは元気でやっているだろうか。
ここ数年コンビニで働く外国人が増えた。
中国人、東南アジア人、そして
ベトナムの名前が書かれた名札を見るたびに
彼ら3人のことを思い出す。